饗庭(あいば)城

道のすぐ脇の竹藪が城跡と伝わる。

 

2015年1月26日撮影


◆所在:

西尾市吉良町饗庭

 

◆交通:

国道247号線沿い、吉良吉田駅の西側にある吉田小学校南東の信号交差点を北へ県道42号線沿いに2キロ弱進み、荻原御用田の信号交差点を東に200m入ると金蓮寺がある。

金蓮寺からさらに東に200m進み、道沿いに突き出た小高い竹藪の先端が城跡。

 

◆歴史:

加賀国石川郡に住む石川妙鶴丸が後小松天皇の命で饗庭の地を賜り、築いたのが饗庭城の始まりとされる。後に西三河進出を図る松平氏を金蓮寺で呪詛した事が発覚し、饗庭氏は滅亡。松平氏が支配する事になった。

 

東条城松平家の当主松平甚二郎は、当初今川家に所属していたが、織田家に寝返ったため、今川義元の命により当主を追放され、弟の松平忠茂が跡を継ぐ事となった。

 

この時に出された起請文(天文20年12月2日松平甚太郎宛山田隆景等連署)に『本地あいは(饗庭)は甚二郎により東条(吉良氏)殿に進上されているので、返付を待つ事』と言う内容の文があり、当時は饗庭城が東条松平氏の支配地であった事が伺える。

 

◆現在:

道沿いに突き出た竹藪が生い茂る小高い箇所の先端が饗庭城跡となる。

城のあった西側には金蓮寺があり、境内に建つ弥陀堂は愛知県内で最古の建造物として国宝に指定されている。

 

金蓮寺の住職さんによると、昭和の半ばまでは城跡には寺があり、一部遺構も残されていたが、後に廃寺となる。その後はミカン畑になったが、一部の遺構は確認できたらしい。

しかし、その畑もなくなってしまい、いつしか竹藪に覆われて入る事も困難になってしまったと言う。


金蓮寺に立てられた看板に饗庭妙鶴丸の記述がある。


金蓮寺境内に建つ弥陀堂(国宝)は愛知県内で最古の建造物