長縄(ながなわ)城

城跡と言われる稲荷神社


2015年3月16日撮影


◆別名:

 

◆所在:

西尾市長縄町鍵島

 

◆交通:

県道41号線と県道383号線が合流する菱池町外河原の信号交差点を南の一色方面へと進み、中央分離帯が無くなってすぐの路地を西へ入る。2本目のT字になった路地を左折した次の角に稲荷神社がある。

稲荷社の角から南へ150m程に清康公埋葬地の碑が立てられている。

 

◆歴史:

巨海城寺津城と同族である大河内氏の居城。

 

大河内氏は平安末期の武将である源頼政が平家に敗れ去った時、孫の顕綱が、岡崎の大河内まで落ち延びて大河内氏を名乗った事が始まりとされる豪族で、東条吉良家に仕えて寺津城を始めとした一帯を支配していた。

 

長縄大河内氏は松平氏と仲が良く、松平清康(徳川家康の祖父)が守山崩れで殺害された際、大河内小見(基高か?)が遺体を持ち帰り、城の南にある観音寺に埋葬したとされ、寺の前には現在も『松平清康公埋葬地』の碑が立っている。

 

大河内基高は、永禄4年(1561年)に起こった東条城攻めに従軍し、討死を遂げた事が『参河志』に記されているが、慶長年間まで生き延びたと言う記録もある。

基高の嫡男は大河内政綱で、当初は東条吉良家に仕えていた。

 

◆現在:

城跡には公民館と稲荷社が立っている。

近くの水路は堀跡を利用したと言われているが、改修されているため当時のままと言う訳にはいかない。


写真右の木の中に『松平清康公埋葬地』の碑が見える。

正面中央の白い建物が公民館、その左の赤い旗がある所が稲荷社で、ここが長縄城跡となる。


松平清康公埋葬地の碑