丸山御所(まるやまごしょ)

丸山御所があったと思われる近辺

 

2016年2月1日撮影


◆別名:

西町城 ・ 西野町砦 ・ 西野町館

 

◆所在:

西尾市上町下屋敷

 

◆交通:

県道301号線の西野町交差点を南へ入ると、西野町ふれあいセンターが見え、その先のT字路を西に行った所が実相寺、東に200m程進んだ西町保育園の東側の畑近辺が丸山御所があったと言われる場所になる。

 

◆歴史:

足利家3代目当主である足利義氏の長男で、西条吉良氏の祖である吉良長氏の隠居所と伝わっているが、実際の隠居地は今川城だったと言われている。

周囲には屋敷と名の付く字名が多く存在し、東側の低湿地に西条城が築かれるまでは、丸山御所が西条地区支配の中心地だったと思われる。

 

長氏は長男であったが、母が側室だったため、足利家の家督は弟の泰氏が継いでおり、泰氏の子孫は管領職の斯波氏や羽州探題の最上氏、奥州探題の大崎氏の他、一色氏や上野氏、板倉氏など足利幕府の有力御家人の家柄を数多く輩出している。

また、長氏の三弟である義継は東条城近辺に土地を与えられ、東条吉良氏の祖となっている他、妹は世良田氏初代頼氏に嫁ぎ、その末裔として徳川家康が存在する。

 

城の西には長氏の嫡子である満氏が創建した吉良氏菩提寺の実相寺があるが、永禄3年(1560年)に織田信長によって焼失。しかし、仏像などは持ち出されており、後世には寺も再建されている。

 

なお、長氏の次男である国氏は、長氏の隠居地だった今川城を相続して今川氏の祖となっている。

 

◆現在:

城館があったと伝わる所は民家や田畑となっており、遺構などは存在しないが、県道301号線沿いには『横町屋敷』や『善兵衛屋敷』と言った名前の信号交差点があり、作道屋敷、御所ノ下、矢狭間など城があったと思わせる字名も多数残されている。


実相寺本堂


山門脇に立つ文化財の一覧が記載された看板。

末尾には織田信長によって焼失させられたと言う記載もされている。