平口(ひらくち)古屋敷


◆別名:

 

◆所在:

西尾市平口町奥川

 

◆交通:

 

◆歴史:

江戸幕府代官の鈴木八衛門重直の居館である。

西尾城を中心とした一帯は、徳川家康が三河統一をする際に酒井正親に治めさせ、秀吉の命で関東に移るが、関ケ原合戦終了後は本多康俊(酒井忠次の次男で、家康とは従兄弟にあたる)が2万石で入封した。

 

その後、康俊の嫡子である俊次が伊勢亀山へ移封となると、西尾藩は廃藩となり、幕府天領となった。

この時、幕府の代官として鈴木重直が西尾一帯を治める事になった。

二年後の寛永15年(1638年)に太田資宗が西尾藩主として入封するが、寛永21年(1644年)に浜松藩に移封されたため、再び重直が代官として西尾の地を治めている。

 

なお、足助鈴木氏に鈴木越後守重直と言う人物が存在するが、こちらの重直は元亀2年(1571年)の時点で真弓山城主になっており、同一人物とするには年代的に無理がある。

ただし、鈴木氏は『重』が通字となっている事が多いため、一族の人物である可能性は高い。

 

◆現在:

浄念寺を屋敷跡と記載している物も数多くあるが、 浄念寺は文亀3年(1503年)の創建、隣接する修法寺も室町時代の創建と伝わっているため、おそらくは寺の近隣に屋敷を建てたと思われる。