西尾(にしお)城

2015年1月26日撮影


◆別名:

鶴城、鶴ヶ城、錦丘城、西条城

 

◆所在:

西尾市錦城町

 

◆交通:

名鉄西尾駅の南側を走る県道383号線を西に向かい800m程で歴史公園に到着する。

 

◆歴史:

鎌倉時代に建てられた東条城に対して西条城と呼ばれていた。徳川家康の家臣である酒井正親が西条地区を治める時に西尾城に改名したと言われているが、異説も多く改名時期は定かではない。

戦国時代は松平氏の城として、矢作川の南岸を支配する拠点の一つだったと考えられる。

 

小高い丘陵地区に建てられた東条城とは異なり、矢作川と海岸に挟まれた台地に建てられた平山城で、有事の際の城館と言うよりは、支配拠点としての城と思われる。

戦国末期、徳川家康の関東移封に伴い、田中吉政が西尾に入り、本格的な城郭として本丸と始め、二の丸や姫の丸、北の丸などの曲輪や櫓と、それを囲む惣構えが構えられていた。

 

明治維新を迎え、天守以下の建物は解体され、明治11年に西尾城は廃城となった。

 

◆現在:

本丸と二の丸の一部が歴史公園として整備され、姫の丸は西尾資料館が建設。東丸は西尾小学校の敷地となっている。平成8年に丑寅櫓などが再建された事を初めとして、歴史公園として整備され、今後は天守の再建なども予定されている。


天守台跡

石垣は再建された物だが、一部の石は当時の物を使用している。


西尾小学校正門脇に立つ東之丸太鼓門跡の看板