国森(くにもり)城

城跡に建てられた矢田ふれあいセンター

 

2016年7月11日撮影


◆別名:

 

◆所在:

西尾市国森町不動東

 

◆交通:

 

◆歴史:

国森城は地誌などに記載がないが『桂岩寺縁起』などに登場する、矢田松平氏の城館と推定される。矢田松平初代の張忠は松平宗家四代目親忠の子で、張忠の息子である康忠が桂岩寺を再興したと伝わっている。

 

康忠は天文9年(1540年)の安城城の戦いに参戦するも討ち死にを遂げており、後嗣が不在のため、家系は途絶えたと言われている。

桂岩寺の西に残る矢田地蔵塚は康忠の塚と伝わっている。

 

◆現在:

国森城は矢田ふれあいセンターの建設に伴い、平成22年に発掘調査を行った結果、未確認の堀跡が発見されると言う貴重な例である。

堀は幅3m、深さ1.5m程で東西40m×南北20mに渡って確認された。

出土した遺物から16世紀前半に堀削され、短期間で廃城になったと推定されている。