◆所在:
知立市南陽町
◆交通:
◆歴史:
刈谷城主である水野忠政が支配する地域の東側を流れる猿渡川沿いに位置し、牛田城から西に3キロの位置にある重原城と共に、今川・松平への備えとして忠正の配下である牛田政興が築いた城。
看板には廃城時期が定かでないとされているが、西にある重原城は今川義元が上洛を目指して尾張侵攻をする途中で落城しており、この場合、牛田城は水野氏の本城である刈谷城とは完全に分断されてしまう事から、重原城と同様に桶狭間合戦以前に落城していたと見る方が正しいと思われる。
◆現在:
宅地化が進み、住宅地の中に碑と看板が立てられているのみである。