2014年12月8日撮影
◆別名:
刈屋城(※注)・亀城
◆所在:
刈谷市城町1-1
◆交通:
JR東海道線の刈谷駅北側を走る県道51号線を西に向かって走り、JR線を越えた所にある刈谷警察署北の信号を西に入って1キロ程進むと到着する。
◆歴史:
緒川城主の水野忠政によって築城された。
築城後は本拠を刈谷に移し、水野氏は知多だけでなく西三河にも勢力を伸ばし、徳川家康の生母である於大の方は刈屋城から岡崎城に嫁している。
忠政の息子である水野信元は佐久間信盛の讒言で徳川家康に殺害され、刈谷城も信盛が領有したが、後に信元の弟である忠重が城主となり、以降100年程水野氏の領地として続く事になる。
その後は頻繁に城主の交代が続き、幕末を迎えた。
明治以降、城跡は刈谷町が公園として一旦は整備したが、戦時中には高射砲の陣地として老松なども切り払われ、堀なども埋め立てられて荒廃した。
◆現在:
城跡には桜が多数植えられ、桜の名所としても有名で、亀城公園として整備・保存されているが、石垣なども一部を除いては新しい物である。
1972年に本丸跡に再建された十朋亭の中には刈谷城の模型が展示されている。
十朋亭の管理人さんの話によると、庭園内の石のいくつかは築城当時の物と伝わっているが、確証はないとの事。
2014年現在も遺構の発掘作業が継続して行われており、今後は歴史博物館が開館予定。その2年先の2017年には櫓や石垣、土塀などの復元がされる予定となっている。
※注
正式名称は刈屋城だが、刈谷市が市制施行してからは『刈谷城』の表記で統一されているため、当サイトではこれに従い、別名として刈屋城の名称を扱っています。
碧南市志貴町2-61にある妙福寺の山門は刈谷城の辰巳門が移築された物である。
十朋亭の中にある刈谷城の模型
2014年現在の発掘調査現場。
土塀や櫓の基礎などが見て取れる。
今後はこの発掘調査と当時の資料などを元にして、櫓などが復元される予定。