西端(にしばた)陣屋

庚順寺にある西端藩二代目藩主本多忠鵬の墓

 

2015年6月15日撮影


◆所在:

碧南市湖西町

 

◆交通:

衣浦大橋東を北へ向かい国道419号から県道47号を経て県道304号線と交わる神明宮西の交差点を南へ入り、1キロ走ると県道46号線と交わるので、そこを東に向かう。

1.4キロ先の札木信号交差点の南西角に庚順寺が有り、そこの脇道を南に200m程入ったあたりが陣屋跡と言われている。

 

◆歴史:

酒井忠次の次男である康俊が三河伊那城主の本多忠次の養子に入り本多康俊となり、その次男の本多忠相が西端で所領を得たのが西端陣屋の始まりとなる。

 

忠相は1000石の所領から始まったが、加増を重ねて徳川家光が将軍となった時は8000石の上級旗本であった。その後、子孫の代にも加増があり、元治元年(1864年)十代目の本多忠寛の時に石高1万500石となり西端藩が設立された。

 

忠寛の嫡男忠鵬が跡を継いだが、忠鵬は戊辰戦争で新政府に与して西端陣屋は新政府軍の兵舎となり、廃藩置県を迎える事になる。

 

◆現在:

陣屋跡とされる土地は駐車場となっており遺構などは存在しないが、陣屋があった地から北に200m程にある庚順寺(札木町2-87)に本多氏の墓が残されている。